社会不適合者の私が職歴から自分を振り返り、これからやるべきことを考えてみた

こんにちは、優にゃん(@younyanco2)です。

今日は自分の未来を考えるために、これまでの職歴から自分と向き合ってみようと思います。

大袈裟に言ってしまえば「社会不適合者」

私はどちらかと言えば不器用な人間です。

家族にはよく「損をするタイプ」と言われてきました。

感情を表すことが苦手というよりはしないことを選んで生きてきたような気がします。

他人と関わることに対して何よりも苦手意識を持っていてなるべく関わらないようにしてきました。

大袈裟に言うなら「社会不適合者」というやつだと思っています。

そもそも社会不適合者とは?

社会不適合者とは、

一般社会の要求に応えて生活することが困難な者のことである。 日本社会においては、空気を読んで、他者とコミュニケーションを取る必要があり、空気が読めない人間は、社会不適合者であることが多い。

ー出典元ニコニコ大百科よりー

とあります。

この定義からいくと私の場合は一般社会の要求には応えられます。

仕事に関して言えば、どこへ行ってもある程度は自分の役割を把握しそれを果たしてきた自信があります。

ただコミュニケーション能力が著しく低い。

低いというよりは皆無レベル。笑。

 

なのでコミュニケーションを要さない職場では淡々と仕事をこなしていれば良いので楽です。

今の職場がまさにそれです。最低限の仕事上のホウレンソウさえ出来ていればいいのです。

会社によってはそれ以外のコミュニケーションを求めるところもあります。

 

「みんなで仲良く」とか、無理なんですよね。

そういう会社は長くは続かないんです。

私のこれまでの職歴

高卒で働き出して早18年が経ちます。

こんな私でも18年間社会に出て仕事をしてきたんだなと思うと「やるやん」と言う気になりますね。

初めての仕事はバスガイド

これ、あんまり知人には言いたくないのですが、高卒で就職した先は東京のバスガイドでした。

これを言えば「え?お前が?」って雰囲気になるか

「ふっ」という失笑になるのであまり言いたくないけど事実なのです。

 

なぜ、私がバスガイドを選んだのかと言うと東京に行きたかったから。それだけです。

そんな私がバスガイドという仕事を上手にできるわけもありません。

うまくいけば楽しい!と思う瞬間もあったのですが、同乗する運転手さんによっては

「お前、暗いよ。明るくやれよ」みたいに言う人もいて、苦痛は大きかった。

 

自分でも明るく楽しくやりたい。でも私にとっては「出来ない事」でした。

それでも夢の東京生活だったのでなんとか限界まで頑張りましたがたったの10ヵ月で帰京しました。

 

アルバイトを転々とする時期

夢を追い東京に行くためだけにやりたくもないバスガイドを10ヵ月もしたけど出来ずに帰京した私は失意のどん底にいました。

また必ず東京に戻ると意気込んでいたのはほんの数か月でその後は「生活のため」のアルバイトを転々としていました。

 

この頃、スロットにハマっていた時期というのもあり、自分の人生をあまり考えていませんでした。

目先の生活、目先のお金。それだけを見ていた気がします。

とりあえずのバイトをしてとりあえずのお金を得る。

仕事と向き合うこともなく衣料品店、コンビニ、スーパーを数か月単位で転々としていました。

初めてハマった仕事

22歳の時に、レンタルビデオ屋さんにアルバイトで入りました。

その前にも別のレンタルビデオ屋で働いていて、映画好きになったことがきっかけです。

そこはオープニングスタッフだったので周りのみんなが一緒にスタートという私にとっては好環境でした。

 

映画の最新情報は入ってくるし、とにかく楽しくて仕方なかったです。

早い段階でシフトリーダーに任命され仕事を任されるのも楽しかった要因の一つだったと思います。

誰でもそうだと思うけど、私は任されるのが好き、嬉しいんだと思います。

人一倍承認欲求が強いのかな、と感じます。

 

だけど、その頃から自分の中で葛藤が生まれていました。

リーダーだけど、同期入社だし注意とかしにくい。って感じてたんです。

「言いたいけど、言えない」苦しみに陥っていたんですよね。

遣り甲斐から生きがいに

その後、「店長に」という話をもらい、私はレンタルビデオ屋の店長になりました。

自分好みで映画を紹介したり、陳列を変えたり。

どうしたら作品を手に取ってもらえるだろうか。そう考えて動くことが大好きでした。

 

やったことの結果が売り上げで表れることでますます楽しくなって遣り甲斐から生きがいになっていったのです。

店長就任1年目で結果を残せた私は特別ボーナスとして100万円頂いたりと順風満帆な時代を送りました。

やりたいことだけじゃなかった

だけど、そんな時代は長く続きませんでした。

私がレンタルビデオ屋さんの店長として好きだったことは、

「どうしたら作品を手に取ってもらえるか」を考え、行動することです。

 

だけど、店長と言う立場上それだけではだめなんですよね。

当たり前ですが。

アルバイトスタッフの管理、クレームの対応と「対人関係」の問題が起きてきます。

 

今では問題視される様な出来事もありました。

スタッフの対応が気に入らない、という理由だけで事務所に押し入り

店長である私やそのスタッフを数時間立たせ、罵声を浴びせられたのです。

 

些細なクレームでお客さんの家に行ったり、アルバイトスタッフさんへの言えない苛立ち…

苦痛苦痛苦痛・・・と、とにかく私の中の苦痛が増えていきました。

そして苦痛が大きくなり過ぎた私は7年勤めたレンタルビデオ屋さんを辞めました。

大好きだった仕事、生き甲斐とさえ思った仕事を自ら辞めたのです。

社会不適合であることは個性だと捉える

それからの仕事は工場や事務といったいわゆる内勤の仕事をするようになりました。

それまで経験してきた接客業を避けるようになったのです。

 

なるべく他人と関わらないようにした結果、私はずいぶんと楽になりました。

出来ない悔しさはあるんです。

だけど、「今の私には難しい」と認めることで気持ちが楽になりました。

 

・他人様より、うまく感情を表現できない

・他人様より、気軽に世間話をすることが苦手

・集団の中に入れない、団体が苦手

 

これが私です。

だけど、社会の中で生きています。

「それじゃダメだよ」と言う人はいます。

これまでもたくさん出会いました。

 

だけどこんな私を認めていてくれる人もいます。

「あなたらしい」と。

誰とでもは笑い合えないような私でも、私は私なんです。

 

確かに私は「社会不適合者」です。

でも、それも個性。出来ない事は出来ないでいいんじゃないでしょうか。

足りないのは経験値

それから最近気付いたことは、ただの経験値不足ということ。

なんで出来ないのって苦しむ前に「やってないわ」って認めようと思いました。

そう、やってないから出来ないのです。

 

社交性を磨こうと行動したところで向き不向き問題があるので

めちゃくちゃコミュニケーション能力が高い人間には私はならないと思います。

でも、出来る事から少しずつ経験値を上げていきたいです。

 

自分が苦しまずに済む程度のコミュニケーション能力を身に付けたい。今はそう思っています。

出来ないから苦しいと感じることは、「やりたい」という感情の裏返しですものね。

だから、下手でも少しでも出来るように、経験値を上げたいと思っています。

 

今日のまとめ。

社会不適合者の私がやるべきことはただ一つです。

「個性だと捉え、不適合でもこれからも社会の中で生きていく」

もう少し楽になれるように経験値は上げていきます。

 

社会不適合だぜ~って苦しんでいる人っていっぱいいると思うんです。

むしろ、なにが適合なの?って疑問も挙がるくらいに。

 

でも、自分は自分でいるしかないって開き直ってもいいと私は思ってます。

出来なくて苦しいことだけ、苦しまずに済むくらいに改善出来れば。

 

一緒に、がんばりましょう。

それでは、また。