私の家族は機能不全家族というヤツだったんだと妙に納得した話。

 

 

こんにちは、優にゃん(@younyanco2)です。

35歳にして自分と向き合うことにハマっています。

自分と向き合う上で外せないのが過去ですよね。

 

自分の過去と向き合うことで、私の家族は機能不全家族というヤツだったんだと確信しました。

今日は機能不全家族と私について向き合うために記事を書こうと思います。

 

機能不全家族とは?

機能不全家族とは、親が親としての機能を果たしていない家族のことです。

また、家庭内で弱い立場にある人(主に子供)が日常的に身体的、精神的ダメージを負う機会が存在している家族のことです。

例えば以下のような家族のことを言います。

 

・ネグレクト(育児放棄)をしている親

・過保護で干渉的過ぎる親

・家庭内の対立が生まれている家族

・身体的虐待のある家族

・性的虐待のある家族

機能不全家族で育った人は子供の時から親だけでなく学校で地域でも周りに気を遣うような子供で反抗期がなかったという人が多いようです。

我が家の場合は、家庭内の対立が生まれている家族に該当しています。

機能不全家族で育った人の多くは大人になっても生きづらさを感じるアダルトチルドレンである場合があります。

 

 

子供は生きる上での様々な能力は家庭で学ぶ

一般的に健康的に機能している家庭の場合、子供は一番身近な家族を見本に学ぶことって多いですよね。

それは生きる上で必要な様々な能力です。お箸の握り方から人を思いやることまで様々なことを家庭内で学びます。

 

しかし、偏った考えを持つような親がいる機能不全家族の中では健全に何かを学んでいくといったことが難しくなります。

そのような子供の頃の経験によって自己認識の歪みや対人関係を築けずに生きづらさを抱える大人は多くいます。

私もその一人だと感じています。

機能不全家族:私の場合。

私は昔から家族構成を聞かれることが好きではありませんでした。

「なんて言おう?」と考えてしまうからです。

私の血のつながりのある元々の家族は母、兄(知的障害のため施設暮らし)、姉の4人家族です。

父はいません。

私が生まれてすぐにギャンブルが原因で離婚したそうです。

 

小学2年生まで大好きな母、大好きな姉に囲まれて母子家庭でも幸せに暮らしていたことを覚えています。

貧乏だったし、母は幼い子供を残して夜働きに出ていたこともあったけど、とにかく楽しかった、と記憶してます。

家庭内対立していた家族

小学校2年生の時、母が再婚しました。

相手は母の中学校の同級生で相手の方にも年の近い息子が二人いて単純に家族が増えると喜んでいました。

だけどそれが苦痛の始まりでした。

 

母の再婚相手(以下おじちゃん)は独占欲が強く、典型的な亭主関白な人でした。

おじちゃんは、子供の私たちにまでヤキモチを焼くので母との会話やおでかけすべてを制限されました。

話をしているだけで「何をコソコソ話しているんだ?コソコソ話すなら盗聴器を仕掛けるぞ」という始末です。

 

またおじちゃんは典型的な男尊女卑の考えの人で、掃除・洗濯・洗い物・そういった家事全般は女である姉と私の仕事になりました。

息子二人が遊びに行っている間、姉と私はせっせと家事に追われていたのです。

遊び行くのは家の事が終わってから、がルールなのでそれを破ればビンタされることもありました。

 

私は当時、純粋に「あぁ、女だからしなきゃいけないのね」くらいに思っていました。

しかし姉は男・女ではなく「他人」だから私たちにさせて実の子である息子たちには楽させていたんだと思っていたんだそうです。

 

こうしたおじちゃんのしつけのせいで私たち姉妹は息子たちを羨望の目で見るようになったのです。

自分たちばっかりいいなって。息子達も私たちを顎で使うようになったし「居候」として扱われていました。

こうして家庭内対立が生まれていきました。

 

このころから、家族構成を聞かれることが苦手だと思うようになりました。

おじちゃんも息子達も一緒に住んでいるけど「家族」ではなかったからです。

母の存在

こういう話を他人にすると「お母さんは助けてくれなかったの?」とよく聞かれます。

母はすぐに「我慢しなさい」と言いました。母に愛されてる実感は当時からありました。

けれど母は母子家庭には戻りたくなかったんでしょう。母子家庭の頃は知らないところで苦労していたんだと思います。

我慢して時間が経てばここから抜け出せるんだと常に私たちに言い聞かせました。

 

母自身もおじちゃんに対し不満を持っていたし、お酒を飲んで夜中に喧嘩している姿をよく見ています。

何度も離婚の話にもなりました。

でもその度におじちゃんは「離婚するならお前たちを養った慰謝料を1,000万円用意しろ。

お前が用意出来ないならお前の家族からむしり取ってやるからな」という俗にいう脅しで母を縛り付けていたのです。

唯一の味方の存在

私の唯一の味方は姉でした。なんでもコソコソやってたし、辛さも分かち合えた仲でした。

そんな姉はその環境に反発しよくおじちゃんと対立していました。当たり前ですよね。

私が中3の時に何度目かの家出に成功しそれから数年は絶縁状態になり、とても孤独を感じていたのを覚えています。

今でも私の姉に対する依存は普通じゃないと自分でも思います。

 

我慢すれば抜け出せる

母に言われていた「我慢すれば抜け出せる」精神は知らぬ間に自分の中に植えついていました。

事を荒げないように、波風立てないようにただ静かに我慢をして時間が過ぎることを祈っていました。

高校卒業したら、何をしてもいい。どこへ行ってもいい。それがルールでした。

 

たしかに時間が経って高校を卒業した日から私は自由になりました。

就職で逃げるように実家を離れ、それからは好きに生きています。

小学2年生から18歳までの約10年間の話なんですが、私にとっては人生が狂った時間だと思っていました。

機能不全家族に育って

今思えばアホらし。の一言に尽きるんです、本当に。

客観的に見れば不器用な大人たちに振り回されただけの話なんです。

でも抜け出せないし、当時は家にいることが苦しくて何度夢だったら。。と願ったかわかりません。

今になれば、とにかくおじちゃんがアホだったと分かるんですが当時はみんなおじちゃんの言いなりになるしかなかった。

自分の息子ばかりをかわいがっていましたが息子たちにも愛想つかされ誰も寄り付かないしかわいそうにも思えてきます。

 

それでも母はおじちゃんのそばにいるし、なんだかんだで仲良くやっているのでそれはそれで良いかなと思っています。

私も時々は姉と会いにいっています。

身に着けたのは感情抑制力。

私はあの家で我慢に我慢を重ねて、感情を抑圧する力を身に着けました。

そのせいで自分の意見がわからない、感情が表情に出せない、感情を言葉に出せないとか表現が下手。

他人と人間関係を築くのが苦手すぎる、などいわゆる社会不適合者というやつになってしまったんだと思います。

 

でもあの家にいたのはたったの10年なので自分の基礎の部分を作ったのは機能不全家族によるものかもしれませんが、

大半は私の経験や環境から自分自身で作りあげた性格なんだと思ってます。

すべてを育った家族のせいにするつもりはありません。

でも、基礎の部分を変えるのが一番大変なのかもしれないですけどねぇ…

機能不全家族に育ったことを受け入れる

「機能不全家族」に育ったと受け入れたことで、自分がなぜこんなにも生きることが下手くそなのかを理解出来るようになりました。

なるほどね、ってなんか妙に納得できたんです。

だけどそれはすでに過去の話なので、自分の人生は自分で取り戻したいって今は思っています。

下手くそだけど、自分なりに発信を続けていきたいです。

 

もし育った家族に苦しめられているひとがいるのなら、どうぞ一緒に歩みましょう。

わたしもまだよくわからないんだけど、過去は過去に出来るように、苦しみから解放できるように、ともに前へ歩いていけたらいいなと思います。

 

それでは、また。